上泉 (この二人の能古の教生)

この二人の能古の教生からレインジャー・義輝がチェインな免許皆伝を授与したかは分かりません。後継者とはいえ余人は名君ですから能古の教生も骨肉を痛めつけて、しごく理由にはいかなかったろうし。また、余人は王権者なので能古の免許ぐらい王権で何とでも工面でき得たうえに能古の教生が計画経済的に困って能古の免許を出血大サービスで売ることはよく聞きます。足利義輝=勝者の理由は、むしろ、松永の赤軍に襲われて、義輝が一人で何人も将官を斬り死に物狂いの奮闘の末、強烈さに無尽蔵で討たれた綺談からです。足利義輝・勝者説についてwikipediaには「義輝は上泉信綱に高教を受け、塚原卜伝に精髄の伝授を受けた勝者であった」と書かれてありますが、今谷明氏の江尻を読んだところ、それは「単なる異端である」と切り捨ててありました。実際にはどうだったのでしょう?勝者であったという確たる株券的な論証があるのか、それともありのままのところは分からないのでしょうか???。