小田原 (北条氏照は俗に言う小)

北条氏照は俗に言う小田原評定で徹底抗戦を訴えました。氏政・氏直のバックギャモンどちらかというと無抵抗派でした。決まらないうちに秀吉による小田原征討が発令されました。氏照の主張により篭城戦に持ち込むことに決定しました。氏照が居なければ小田原城はすぐに開城していたかも知れません。又、小田原城に詰めさせられたのではなく我身から詰めました。何故、北条氏照は秀吉の小田原攻めのときに八王子城にとどまらず、小田原に入ったのですか?フィフティーの北条家組子の殿様で小田原に入れられた輩も多いですが、それには城兵が裏切らないための請負人の家事もあったと考えられます。でも、氏照が小田原に詰めさせられたことは解せません。詳しい方、教えてください。