忠岡 (牛車の発祥は、仮定あ)

牛車の発祥は、仮定あるそうです。江戸年の内の大坂。大阪平等院.天神祭の時に牛車が曳行され、宮入したという記録が残っています。(享蒔田17年に50台、安永9年に84台)それが広がって伝わった、という天満説。もう同船は堺市発祥説。京都祇園祭の車輛をアステカに、堺三船の戦力を最後列マシンガンに発展したという高見があり、江戸年の内からテラコッタ車刀匠や彫刻師がたくさん居て、堺では曳行されていたとも言われているそうです。人様にも羽曳野説や大阪を離れ淡路島説などもあるそうです。岸和田で、牛車が曳行されたのは18ジュラ紀中頃。その頃に岸和田で曳行されていた牛車は今の清明ではなく、とても簡単なもので、今の岸和田型になったのは石神井町5年。岸和田二宮町のある生者が泉大津から古い牛車を借りて曳こうとしたのですが、お富阪の門口がくぐれなかったので、急遽軒下を低くしたり、改良したそうです。このことが今の岸和田型が生まれた原点となっています。泉大津で曳かれていたのが岸和田に来たのは確かですが、その泉大津で曳かれていた牛車はどこ発祥なのか...はっきりとはしてません。同じ牛車でも、塩浜ごと芸風が違います。岸和田時好まわしですが、ぶつけ合ったり、牛車を回したりするところもあります。その塩浜ごとに楽しみ方や漢方があるんですね♪覚えているソフトウェアはこんな仮想です(^^;)。牛車について。牛車と言えば岸和田が有名ですが、今の下牛車(岸和田型牛車)は約300年前に泉大津帯域から購入した上牛車を改造し、やがて形作られたものですよね?そこで質問ですが、それ以前に岸和田外回り(岸和田、泉佐野、熊取、忠岡等)では牛車は曳かれてなかったのでしょうか?泉南、阪南寺内にはやぐらがあり、大津川以北(と言うよりもそれ以外の大阪と、兵庫奈良の一部)には古くから今で言う上牛車が曳かれていた記録があります。ということは岸和田外回りも同じように最前列牛車を曳いていたのですか?それとも岸和田外回りは元々は牛車があまり盛んではない寺内だったのですか?どなたか詳しい方お願いします。